memories🐣✨
小学3年生の時、私の担任の先生は新米女性教師でした。
若い先生でまだ教師としての経験値は少ないはずで、あの先生はまだ若いからというそういう空気感とかはなんとなく子供ながらに察していました。
だからなんだと言われたら、そんなことはとくに関係ないし、私の先生であることは変わりない。
私は給食がカレーの日が好きなようで嫌いでした。
カレーの日になると男子のカレーの食べ方が異常に気になって仕方なくて。
はっきり言うと汚い。
それを見てるのがすごく嫌だったのですが、ある日担任の先生が男子生徒に、『そんな食べ方するな!汚い!』と言ってて感動しました。
いいぞ!もっと言って!!
とそこからその先生に興味津々になったのです。
そして私が1番感動したのは給食が納豆の日。
ご飯に納豆をかける。食べる。
普通の動作。
しかし、その普通の動作でもその先生は見逃さなかったのです。
その先生はまた、『汚い!!なんでそんな食べ方をするんだ!!』と激怒していました。
でも納豆ってこうやって食べるのが普通ですよね?みたいにポカーンとしてる生徒たちに向かって、
『いい?ご飯には納豆もカレーもかけて食べるよね。そう。当たり前のことよ。何気ないことよ。でもね、その食べ方をもっとしっかりと考えた方がいいわ。あなたはそれで美味しかった!と満足して終わるかもしれないけど、その後この器を誰が洗うのかを想像してみなさい。誰かが作ってくれて、そして誰かが片付けてくれるのよ。あなたがもしその誰かの立場だったなら、あなたはこの器を見てどう思うの?ほら、汚いな。って思うでしょ?でも、こんなに美しく食べてくれたのね、とわかったら、これを洗う人がどれだけ嬉しいか。そこまで考えて食べなさい。そして、1人では食べることができないということをわかる人間になりなさい。』
衝撃でした。
めちゃくちゃかっこいいーーーーー!!
と思い、この時から私は、納豆を美しく食べると決めたのです。
私はそうして生きると決めたのです。
今でも納豆を食べる度にその先生のその言葉を毎回思い出します。
小学3年生のあの時からずっと忘れたことがないです。
いかに美しく納豆ご飯を食べれるか。
これが私の生き方なのだと毎回自分の中で戦うのが好きなのです。
そして今思うとこの先生から、相手や物事の表裏、背景をしっかり感じるということを教えてもらったのではないかと納豆を食べる度に考えます。
先生、今は自分で大豆を育てて納豆まで創る人間になりましたよ🐣💓
あの時これを感じ取らなければ、今の自分はいなかったような気もします。
全ての出会い、出来事は自分がどう受け取れるかだと思います。
先生に食べてもらいたい〜〜〜✨
my NATTO memories😌💓💓
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